田名部 匡代 たなぶ まさよ
参議院議員(青森県選出)
1969年青森県八戸市生まれ。90年玉川学園女子短期大学卒業。92年田名部匡省秘書。2000年に衆議院選挙に出馬、64,203票得るも惜敗。03年衆議院議員初当選、05年、09年と連続当選を果たし、民主党政権時に農林水産大臣政務官に就任。東日本大震災被災地の農林水産業の復興、和食のユネスコ無形文化遺産登録の実現に取り組む。16年参議院選挙で参議院議員に転身、初当選。現在、党副代表。

「小さな声」に寄り添う大切さ

− 田名部さんが、現状の政治に対して感じている課題を教えてください。

田名部匡代(以下、田名部)国民の「小さな声」が国会に届いていないということに尽きます。大きな組織に属する方や社会的地位の高い方だけではなく、現在政治と結びつきの薄い方たちに寄り添う必要性を、これまでの政治活動で痛感してきました。

私が国会議員に当選して最初に取り組んだのは、障がい者の方に寄り添うことでした。2005年に「障害者自立支援法*1」の採決があり、私は本会議で反対討論をしたんです。この法案は、障がい程度区分の基準が曖昧であったり、サービスを受ける際の自己負担額が大きかったりと、非常に問題のある法案だと感じたからです。
結局法案は成立してしまったのですが、その後、障がい者の娘さんを持つお母さんから、「娘が『国会に私の声を代弁してくれる人がいたから、私も頑張る』と言っています」とご連絡をいただきました。
確かに、野党の提案は通らないこともあります。それでも、さまざまな立場の方が抱える課題に寄り添い、解決を諦めないことが、誰かの希望や勇気につながることを実感しました。以来、私は「どこに思いを届けたらいいんだろう」と行き場のない声を抱えている方たちに寄り添い、国会に届け、政策を作り上げていくスタンスを何より大切にしています。

こくみんメモ*1
障害者基本法の理念にのっとり、障がい者が自立した日常生活や社会生活を営むことができるよう支援する政策。施行後も議論となっているのが、所得に応じたサービスの利用者負担や、障害程度区分の認定について。

食料自給率を上げるのは、就農を促す政策

− 田名部さんは、ご出身地である青森県で、農業や漁業など第一次産業の問題に積極的に取り組まれていますね。
田名部はい。食料危機が叫ばれていますが、後継者不足や燃油・飼料の高騰など、国内の第一次産業は危機的な状況です。
青森県の農家の方々が希望しているのは「なんとか農業で生活できるようにしてほしい」という切実なことです。90歳のおじいさんが畑を耕しているくらい、農業従事者の方たちの高齢化は進み、第一次産業の経済的環境を考えると、子どもや若い方も継ぐに継げない。この状況を放置すると、守ってきた畑が荒れて病害菌が発生し、近隣の作物までダメにする。この悪循環を断ち切らないと、遠からず日本の食料生産は破綻してしまいます。
− 後継者を増やすためには、具体的にどんな政策が必要でしょうか?
田名部民主党政権時代に、若い方が新たに就農する際、一定期間の収入を保障する「青年就農給付金*2」という制度を作りました。この制度を改良し、より広めていくことが必要ですね。経験が浅い方や、家族を持っている方も安心して就農できる環境を作れば、後継者は必ず増えていきます。
また、同じく民主党政権時代に導入した「戸別所得補償制度*3」も、より復活・拡大すべきだと考えています。主要な農作物を作っている農業従事者に向けて、赤字になった生産費を国が補填する仕組みを、しっかりと確立すべきです。
大規模災害も懸念される中、食料自給率を高め、最低限の食料生産を守っていくことが大事だと私は考えています。
こくみんメモ*2
新規で就農を希望する人が、都道府県が認める道府県農業大学校や先進農家・先進農業法人等で研修を受けることで、最長2年間・ 年間150万円の交付を受けられる制度。2017年に「農業次世代人材投資資金」に名称変更。
こくみんメモ*3
農林水産省が設けている、食料自給率の向上を図り、農業と地域を再生する環境作りのための施策。販売価格が生産費を恒常的に下回る作物を対象に、その差額を交付することで、農業経営の安定と国内生産力の確保を図るもの。

「一志一道」で、政治家としての役割を果たす

− お話の端々から、地元・青森県への想いが感じられます。

田名部そうですね。青森県は、風景を見るたびにその美しさに心が震える土地です。故郷に生きる人たちのためにも、私たち国民民主党の力で、政治の役割を果たしたい。現在の政党の中で一番“意見すべきことを意見し、未来への責任を果たせる”のが国民民主党です。

そのために私が信念にしているのが、「一志一道」という言葉です。政治家は政治活動において、志をしっかりと持つ必要があります。政治活動では日々大変なこともありますけれど、自身がなんのために政治家を志したのかを常に振り返り、ひとつの道を貫いていきたいと思います。